■就職活動
30数年前、新規学卒者が就職先を決めるにあたっては、まず「業界の選択」、すなわち「業界研究」から始めるのが当時の常識であった。私は、大学の就職課の方からの「まずは色々な業界の企業を見て回りなさい」とのアドバイスを、忠実に実行した。企業訪問にあたっては、有価証券報告書を分析したり、業界における地位や最近のトピックを調べるために過去の新聞記事を読み込んだりと、それなりに業界研究・企業研究をおこなった。当時としては多い部類の約30社ほどの企業を訪問させていただいたが、そのくらいの企業を回ると「雰囲気の良い会社だな」とか「働きたいとは思えない会社だな」という感覚が、社会を知らない学生にもなんとなく分かるようになってきた。企業によっては、「何でうちなんかを希望するの?もっと大手の企業があるのに」などとも言われた。「就職課に言われて、試しに訪問しているだけなんです」とは言えず、「いえ、小粒でもきらりと光る御社にぜひとも就職したく・・・」なんてことをすらすら言えるようにもなった。思えば、人生で始めて自分の将来について真剣に向き合った数ヶ月であった。
その結果、複数社から内々定をいただくことができた。内々定辞退を伝えに訪問した企業の人事部長からは、「最終選択の2社に残してもらっただけでもありがたいよ」と言われた。良い時代だった。就職先決定に際しては、企業の将来性や仕事の面白さなども当然考慮したが、最後の決め手は「本社が入るビルの綺麗さ」だった。思えば、付属高校から大学へ推薦入学する際の希望学部は、「消去法」で決めた。なんともミーハーだった。でも人間、案外とそんなものかもしれない。
■初期キャリア
初職は、入社の前年に設立されたばかりのコンピューター専門のリース会社だった。我々が新卒一期生で、同期入社の男女合わせて36名を含めて100名足らずの中小企業である。当時のリース業界は、「銀行と商社を足して2で割ったような業界」と言われ、私の目にはなんとも眩しく見えた。配属面接で「どこでも行って頑張ります!」なんてことを言ったものだから、これまで一度も降り立ったことのない名古屋営業所に配属された。営業所は、株主企業から出向してきた所長と証券会社から前年に転職してきた先輩社員の他には、同期で入社した営業マンと事務職の女性社員という、なんともこじんまりした所帯だった。
最初の3年くらいは、ちっとも仕事が面白いとは思えなかった。私が新入社員のころ、当時入社3年目の取引先の先輩社員と昼食を一緒に食べていたら、こんなことを言われた。「平林、仕事面白いか?俺なぁ、いま仕事が面白くて面白くて、仕方ないんだ」。正直、その時は「何言ってんだ、この人?」と思った。でも自分が3年目になったとき、この先輩と同じことを思った。どうやら入社3年目くらいになると、仕事の全体像が見えてきて、何をどうすればどうなるのかがわかるようになり、仕事を自分でコントロールできるよう(な気分)になるのだと思う。一番嬉しかったのは、お客様から「俺はIBMと契約しているんじゃない。平林と契約しているんだよ。」と言われた時だった。営業冥利に尽きる一言だった。その実態は、所長の掌の上で踊っていただけなのかもしれないが、少なくとも当時の私は、仕事が面白くて面白くて、仕方がなかった。
■キャリアチェンジ
その後、勤めていたリース会社が日本IBMと合併した。通算17年間の営業経験を経て、自分の中で営業職としての「卒業感」が沸いてきた。「やれ」と言われればこのまま営業職を続けることもできるが、「成長している感」があまり感じられず、物足りなくなっていたのである。一方で、「社員が毎日もっと笑顔で、活き活きと仕事ができるようになるための支援がしたい」との思いが強くなり、人事・研修部門への異動を申し出た。運良く人事部門への異動が叶い、営業とはまったく違った面白さと大変さがあったが、営業時代の経験が人事の仕事に何度も役立った。そんな時、40歳を目前にして、この先の自分についてぼんやりと考えるようになった。この時期の私は、職業人生の折り返し地点にいて、「定年」というゴールを何となく意識するようになっていたのだと思う。そして同時に、自分自身に対する焦りも非常に感じていた。それは、あえて言語化すると、「このまま行ったら自らの強みや専門性を持たない、単なる“おじさん”になってしまう」という、強い危機感だった。そこで私は、すぐさま行動を起こした。英語を学び直してみたり、「ロジカルシンキング」や「速読術」などの社会人向け公開講座に通ってみたりもした。その時は、「世の中には斯くも多数の学ぶ意欲の高い人たちがいるものなのだ」と悟ったが、どれもこれも先の私の危機感を埋めるものにはなり得なかった。そんな時、社内でキャリア・カウンセラーチームを養成する話が出て、手を挙げた。「キャリア」について学べば学ぶほど、その奥深さに魅了された。そんな時に、当学会前会長の川喜多喬先生がこんなことをおっしゃった。曰く、「日本は諸外国に比べ、人にまつわる支援者に対する評価が非常に低い」と。我が意を得たり、という気分だった。その言葉に刺激を受けて、「研究者と実務家が出会い・交流・相互啓発の場である」との趣旨に賛同し当学会に加入させていただいたり、日本で唯一のキャリアデザイン学専攻のある法政大学大学院に入学し、働きながら修士論文を執筆したりした。これまでのサラリーマン人生では得られることのない出会いがあって、様々な機会をいただくことになり、人生が豊かなものになっていった。6冊もの著作に携わることができたり、大学で学生さんに講義する機会もいただいている。人生、どこでどうなるかわからないものである。
■変化への適応
その昔、ある化粧品メーカーのCMのコピーに、次のようなものがあった。「昨日より綺麗じゃないと、“今日も綺麗だね”って言ってもらえない」。また、104歳のアメリカ人現役サラリーマンがこんなことを言っているCMもあった。「変化は敵ではありません。前向きに生きるための味方なのです」。 人は、いつまでも進化し、成長する存在なのであろう。そして、成長したいと願う人を支援する人もまた、成長することを求められているのであろう。「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」。驕ることなく、謙虚に、日々成長していきたいものである。