ドイツの若手マネジャーへのインタビュー
ドイツで若手のミドルマネジャーのインタビューをしたことがある(注1)。2回、合計3時間弱ほど話を聞いた。彼は当時ドイツの著名メーカーのひとつS社で6名の部下を持つ本社経営企画マネジャーの地位にあった。部署名は経営企画だが、仕事は幅広く、その中には特命の市場調査なども含まれていた。実際、彼が抱えているそのときの課題は東南アジアの市場分析、市場開拓だった。
高校卒業後2年ほどS社に勤めたが退職し、大学に進学しなおした彼は、大学卒業後再びこの部署のマネジメント・トレイニーに応募し採用された。3年間この部署の業務をざっと経験した後マネジャーに昇進した33歳の彼に、S社営業・マーケティング分野における大卒者の一般的なキャリア・パターンをたずねた。それには二つのタイプがあるという。ひとつは、(イ)製造事業部の営業・マーケティングに配属され、そこで長く滞在しながら昇進するというパターンである。もうひとつが、彼自身のように、(ロ)コーポレートのスタッフ業務につき、製造事業部のラインの営業・マーケティングに出てからそこで昇進するというパターンである。
(イ)、(ロ)いずれであるにせよ、製造事業部の営業・マーケティング分野でキャリアを積むことになるわけだが、そこでの仕事の多くは、新製品の企画・開発を担当するいわゆるプロダクト・マーケティングであることが多い。同一事業部内のセールス・マーケティングへ異動することもよくあるが、ここは販売促進を行ったり、市場調査を行ったりする部署である。
切れたキャリア - マーケティング分野と営業実務
ふと疑問がわいた。営業・マーケティング分野のキャリアといっているが、実際のところ就く仕事はマーケティング分野が中心のようだ。日本企業の場合のように、いわゆる営業実務そのものを経験することはないのだろうか?
この点をたずねると、彼の答えは明快だった。営業実務に回ることはないという。あくまでもコーポレートか事業部かを問わず、オフィス内でのマーケティング分野で異動する。反対に、営業実務からマーケティングへの異動もないのだという。つまり、営業実務の前線とマーケティング分野は、キャリア的にはまったく切れているのだ。
しかし、いわゆるマーケティング分野でキャリアを積む上において、営業実務の経験は必要ではないのか、というさらなる問いに対して、彼自身は素直に、そうした経験があれば助けになるだろうと答えた。実際に売る現場を経験していれば、製品を企画する上でも、また販売促進を行ううえでも、マーケティングマネジャーのスキルを厚いものにしてくれるだろうという。だが、営業前線の仕事は高卒者が担う相対的にグレードの低い仕事であり、それを経験することは、かえって昇進の遅れをもたらすことがわかっている以上、みずからその経験を求めることは誰もしないものだと、彼は笑いながら答えた。
「選択」の前提としてのキャリアの構造 - 仕事配分とキャリア配分
キャリアには二つの側面があるといわれる。客観的なキャリア(Objective Career)と主観的なキャリア(Subjective Career)である。この二つの側面は、いわばキャリアを需要側から見た場合と、供給側から見た場合とも言い換えることができる。近時の多くのキャリア・デザイン論は、どちらかといえば供給側から見た主観的なキャリア(Subjective Career)を論じることが多かったように思える。
だが、キャリアは、あるいは「職業選択」は、それを決める前に、その構造が決められているのも事実である。例えば、上記の彼が大学に進学したという「選択」も、その結果として営業実務の経験をしないという「選択」も、それは純粋に彼が選択したのではなく、S社におけるキャリアの構造がマーケティングと営業実務で切れているという需要側のキャリア構造が彼にそう「選択」させたところが大きい。
この点をもう少し一般化しよう。社会を仕事の観点からとらえなおしたとき、その全体は、(イ)どのような仕事から成り立っているか(仕事の構造)、(ロ)それらの仕事を誰におこなってもらうか(仕事の配分)、(ハ)それらの仕事もしくはその仕事をおこなっている人にいくらの報酬を払うか(報酬の分配)という三つから成立していると考えられる。これは、必ずしも私自身の考えではない。古くはイギリス労働社会学の研究のなかで、すでにこうしたフレームワークが提示されている。日本においては、小池和男氏が自著『職場の労働組合と参加』(1977)(注3)の中で同様の考え方を示している。
このうち、(ロ)仕事の配分が、ひいてはキャリアの配分につながる。仕事の構造が同じだとしても、A、B、C、Dという難易度の異なった4つの仕事を4人にどのように配分するかには、いくつかの方法がありうる。(1)それぞれをひとりずつに配分する方法もあれば、(2)4つすべての仕事を4人全員に経験させる方法もある。あるいは(3)4人のうちある二人には難しいA、Bの両方を経験させるように配分し、他の二人にはより易しいC、Dだけを経験させるように配分するという方法もありうる。キャリアを「複数の仕事経験の連鎖」と定義するならば、これらの違いは、まさにキャリア配分の違いとなるだろう。
技能形成過程としてのキャリア
このように考えると、個人のキャリアの内実は、実はその中で経験した仕事が異なることから発生する技能蓄積内容の違いとして把握されるということに気づく。逆にいえば、真のキャリアとは、具体的な仕事配分を観察し、技能の形成過程とそのなかみを描き出してこそ、その実態がわかるということである。
その意味では、キャリアとはあくまで、(イ)どういった仕事を、(ロ)どれほど経験し、そしてその結果として(ハ)どのような技能が形成されたか、としてとらえられる必要がある。技能の内実を知るのは簡単なことではない。経験した仕事の内容をたずねるにしても、可能なかぎりタスクレベルにまで下りて見なければならない。仮に異動経歴が似ていて、経験した部署が同一でも、形成された技能という視点から見ると、場合によってはキャリアの内実は異なっている場合があるからだ。
この点、「キャリア・アンカー」などの概念でも有名な代表的なキャリア研究者の一人であるエドガー・H・シャインの小さな論文(注2)が実に示唆的である。そこで彼は、心理学、社会学にとどまらず、多くのキャリア研究分野で追究が欠けている問題として、(A)現場では、実際にどのように仕事が遂行されているのか、(B)マネジャーやプロフェッショナルのそれに代表されるような複雑な仕事に、具体的にどのような「技能」が要求されるのか、の二つの問題をあげている。それらがキャリア研究者は十分にわかっていないというのである。心にとめるべきキャリア研究の現状に対するきわめて率直な反省であろう。
検証すべきキャリアの構造
仕事配分やキャリア配分という視点は、さらに社会構造全体を論じる場合にも重要な役割を果たす。それは(イ)誰に、(ロ)どの仕事を、(ハ)どの程度まかせるか、という論点として整理できる。そして最終的には(ニ)非定型的な仕事における比較的高度な技能を、(ホ)どの程度の量の労働者に蓄積すべきか、という論点に集約されるように思われる。
経験した仕事のなかで蓄積した技能が生産性や賃金を規定する重要な要因のひとつだとするならば、それは個別企業ひいては国民経済の生産力を規定すると同時に、一国内の賃金構造・賃金格差をも規定する強い一要因になるはずである。
近時議論されることが多い「非正規労働者問題」あるいは「正規-非正規労働者間格差問題」のポイントのひとつも、実はここにあると考えられる。正社員と「非正規」労働者の間では、何らかの合理的な根拠等によりはっきりと仕事配分が分かれていると、少なくとも暗黙のうちに想定されている場合が多い。だが、現場を訪ね、末端の職場管理者(人事労務担当者ではない)に仕事配分の現状をたずねると、「非正規」社員と正規社員との間で、明確な仕事分担の境界がすでになくなっているか、あるいはなくなりつつあるケースが、思いのほか存在している。そこに現場で切り込むことこそ、正規-「非正規」労働者間格差改善への道筋を発見する糸口になると思われる。
思えば、「終身雇用」や「年功賃金」の崩壊がいわれ、いわゆる「労働力の流動化」の下でのバウンダリーレス・キャリア(Boundaryless Career)が注目を浴び、「自分のキャリアは自分で決める」という議論がさかんに行われてきた。しかし、見てきたように、決めるべきキャリアは、社会慣習や需要側の「論理」によってあらかじめその構造が規定されている傾向が強い。にもかかわらず、その構造の要である仕事配分やキャリア配分は、他方さまざまな要因によって可変的であるのもまた事実である。その構造を、すなわち仕事配分やキャリア配分を検証しなおすことも、実は我々に課せられた「キャリア・デザイン」研究の重要な領域のひとつだと思われる。
注1:拙著「第10章 ドイツのメーカー」、日本労働研究機構(1997)『国際比較:大卒ホワイトカラーの人材開発・雇用システム-日、米、独の大企業(1)事例編』、調査研究報告書No.95、日本労働研究機構、所収
注2: 小池和男(1977)『職場の労働組合と参加』、東洋経済新報社
注3: Schein, E. H. (2007) “Afterword: Career Research – Some Issues and Dilemmas” in Gunz, H. and Peiperl, M. ed.(2007), Handbook of Career Studies, California : Sage Publications