私がキャリアデザインあるいはキャリア教育について、研究と呼べるような活動を始めてからまだ日は浅い。というのも、私はすでに大学で教えるようになって26年ほどになるが、専門は音楽学、特にヨーロッパ音楽史や音楽理論だからである。特に専門としているのは(世間的には)、J.S.バッハ(1685-1750)の次男カール・フィーリプ・エマヌエル・バッハ(1714-1788)の生涯や創作である。バッハなら知っているという方も多いかと思うが、その子どもとなると、かなりマニアックな方しかご存知ないかもしれない。しかし18世紀のドイツでは、実は次男の方が有名で、バッハといえば、次男か、モーツァルトをロンドンで教えた末息子のヨハン・クリスティアンだったからである。
自分ではあまり意識していなかったことだが、音楽学でのこれまでの研究は、どうも音楽家という職業の研究であったようである。最近ではピアニストのことも調べているが、これもキャリア研究に含めてもよいものである。もしご関心のある方は、拙著をお読みいただければ幸いである。(バッハの次男については、「エマヌエル・バッハ-音楽の近代を切り拓いた<独創精神>」(東京書籍、2003年)、ピアニスト研究については、「孤高のピアニスト-梶原 完」(ショパン、2004年)。アマゾンで検索してみてください。内容の紹介もあります。http://www.amazon.co.jp/
専門が音楽学なので、東京学芸大学でも音楽史や音楽理論を教えている。中学校や高等学校の教員免許状を取得するための必修科目として、「音楽史」が法的に定められており、教員養成系の大学にはかならず音楽学を専門にする教員がいる。実はこのことで、世間ではあまり馴染みのない「音楽学」という学問を専門にしても、大学で就職できるわけである。(余談になるが、音楽学という学問はギリシア時代に起源をもち、中世ヨーロッパでは、「自由7学科」のひとつとして大学で講義されていた。つまり、アルテス・リベラーレスのひとつであった。これに関しては、拙文を参照していただければ幸いである。http://music.geocities.jp/kyoudaikyo_m/liberararts.html)
さて、現在の日本の大学で、音楽の実技を勉強できるのは、国立では東京芸術大学音楽学部と、教員養成系大学・学部(44大学・学部がある)だけである。このほか、公立の芸術大学もいくつかあるが、多くは私立の音楽大学で実技としての音楽を学ぶことができる。どのくらいの数かは正確にはわからないが、1学年で7000人や8000人はいると思われる。短期大学の学生を含めると、さらに学生数は増えるであろう。
しかしこれだけの若者が音楽、特にクラシック音楽を大学で専門に勉強しても、プロの音楽家、つまり、音楽だけでメシを喰っていけるわけではない。そもそも将来プロでやっていける若者は、もはや日本の音楽大学には入学せずに、海外の大学に行くという、笑えない現実もある。このあたりの詳しいことは、6月26日に予定されている研究会で、お話をしたいと思う。http://www.career-design.org/
このような現実にあり、日ごろ、非常勤講師として都内の音楽大学で教えていると、学生たちの懸命な姿と現実の厳しさとが二重写しになって、何とか彼らの助けにならないかと考えるようになった。プロをめざして「行け行けガンガン」の学生は、今のうちは放っておいてもいいのだが、3年生くらいになると、自分の実力もよくわかり、将来のことを考えると不安になる学生も多い。結論めいた話になるが、彼らが不安になるのは、自分が将来音楽でやっていけるかではなく、もしだめだったら、社会人として生計を立てていけるかどうかに自信がもてないからのようである。しかしこのような不安も当然と言えば当然で、これまで日夜、練習とレッスンに明け暮れて、限られた世界で限られた人間としてつきあってこなかったから、不安にもなろう。それでもやっていけるのは、根っからのポジティブ思考の人間が多いからで、音楽家のなかにはそのような人が多い。そもそもポジティヴ思考でないと、音楽を目指したりしないのかもしれない。そこそこの音楽家でも、それまでにつぎ込んできた資金と時間を、生涯に回収できる人は少ないのではないだろうか。
こうした背景から、昨年から私は多くの方々の協力を得て、「音大生のためのインターンシップ」を実施している。音楽大学生がいきなり、一般企業のインターンシップに行くというのも、無理があるので、首都圏にある音楽関連の企業等にお願いして、学生を2週間ほど、受け入れてもらえるような仕組みを作ったわけである。今年は21社から協力が得られ、参加学生数も30人くらいにはなるかと思う。昨年は立ち上げということで、私の授業を受けている学生だけに声をかけ、10名が参加した。音楽教科書の出版社、音楽事務所、楽器店などに、8月から9月にかけて、2週間ほど、社会人としての生活を経験した。
ある女子学生は、楽器店が経営する音楽教室で、受付や教室の手配などの仕事をした。昨年の10月に提出してもらって報告書のなかで、「インターンシップを通して学んだことは何ですか」という質問に答えて、自分が変わったことを伝えてくれた。要約すると、①働いている人々に尊敬と感謝の気持ちが以前より強くなった。②自分が日常で使っているものや出来事、当たり前だと思っていることの後ろには、何人ものひとの汗や努力、気持ちがあるのだという考えができるようになった。③仕事や働くことに対してのプラス意識が芽生え。④自分の好きなことを集中してできるのは、大学生活という今しかないと確信した。⑤今までは就職についてあまり考えていなかったが、就職するという道もしっかり考えようと思った。⑥これからは、今まで躊躇していたアルバイトをして社会勉強しておこうと思った。
彼女の報告から、彼女自身がいろんな面で成長したことがよくわかる。仕事や働くことについて、視野が広がり、余裕が出てきたようだし、今の自分がよく理解できたこと、今しておくべきことが見えてきたようである。これまであまり考えたことのなかった就職という選択肢が増えたことで、いざとなればできるという自信が生まれ、今打ち込むことへの自信につながったようである。
さて、今年もインターンシップを実施するので、この彼女に案内を出したところ、今年のインターンシップには参加できない理由が書いてあった。彼女は専門に打ち込んだことで、演奏の評価も高くなったそうで、今年の夏は海外で講習会を受け、コンクールに挑戦するのだという。そのときの返事で、彼女が残してくれたこんな言葉が印象的だった。それは、「私を変えてくれたインターンシップ」という言葉である。今年のインターンシップの実施のために、いくつかの音楽大学でインターンシップとは何かについて、5月から6月にかけて話をするのだが、彼女の言葉は学生諸君にぜひ伝えたいと思っている。
実はこのような活動や大学での「学生キャリア支援センター長」としての仕事(単なる学内行政のローテンション人事とは私自身考えていない)を通して、私自身が悩むことが多い。端的に言えば、これまでの音楽学研究者としてのアイデンティティが、ぐらぐらしてきたのである。最初に述べた「音楽家という職業」を研究してきたという発言も、後付であって、自分が納得するように合理化しただけなのである。今しばらく、探求の時期が続くのではないだろうか。まさしく、キャリアのデザイン(下絵)を書きつつ、生きている毎日である。