私のキャリアデザイン

キャリアデザインをめぐるあれこれ
法政大学 キャリアデザイン学部教授
坂爪 洋美
キャリアデザインをめぐるあれこれ

キャリアをデザインすることの大切さは百も承知だが、私はキャリアデザインが苦手だ。非常に苦手だと言っても過言ではない。「3年後どうなりたいか」と聞かれて、「そんなもん考えて意味あるの?」と斜に構える余裕すらなく、「いやもう今日を生き抜くので精一杯なので、そっとしておいてください」という感じの苦手意識だ。



15年前に法政大学キャリアデザイン学部に着任した際に、これで私も自信を持ってキャリアデザインを語る日が来るのではないかと期待したが、現時点ではまだその域に達していない。一方で仮にも日本キャリアデザイン学会の一員でもあるので、折に触れて自分の苦手意識を手がかりにキャリアデザインとは何かをつらつら考える。同時に、自分のような苦手な人間こそ、キャリアデザインの型を問い直すヒントを生み出せるのではとも考えている。そこで、ここではこれまでの私のキャリアデザインをめぐる思考の軌跡をお伝えさせていただければと考えている。



最初は、「キャリアデザイン」という言葉の綺麗な語感に抵抗があるのではないかと考えた。私の中に「生存戦略」ならいつもある。出し入れはあるものの、変わらないのは、①どの瞬間を切り取っても新しいことにチャレンジしていること、②時間を忘れて夢中になるものがあること、③相手の期待の1%上をいくこと、の3つだ。「これはキャリアデザインなのか?」と問われると、私の答えは「NO」だ。私がイメージするキャリアデザインは、ゴールを決めてそこに近づくことを前提としていると捉えている。私の「生存戦略」は空中に飛んでいるボールを取りに行って、その時々のゴールに突進する、それを延々と繰り返すそんなイメージだ。ラグビーでハイパントを競りに行き、そのままゴールに向かって疾走すると言ったら伝わるだろうか。



念のため確認しておくが、私はキャリアデザインを否定しているわけではない。周囲を見ていると、デザインは大事だと思うし、私にデザイン力があればもっと違う人生があったのでは・・と遠い目で空を眺めたこともある。でもそれでもピンと来なかった。それくらい未来に向けたデザインが苦手ということだ。



そんな私でも、「あっ、これか?」と思う瞬間が何度かある。年齢が上がるにつれ、思うようにいかないことが増えてきた時期があった。私の生存戦略を維持するには、体力強化が必要と考え、睡眠時間と運動時間を増やした。その時に「これがデザインか!」と、一瞬腹落ちした気がした。デザイン(design)のde は 「変える」「壊す」「減らす」といった意味がある。睡眠時間と運動時間を増やすには、仕事時間や家事時間を減らすしかないので、デザインしたと言えるだろう。



一方で、「あなたのキャリアデザインは?」と誰かに聞かれて「睡眠時間&運動時間増」と答えたら、相手は「えっ?」となるのではないだろうか。何が違うのだろう。おそらく「未来」視点の欠如だろう。私の思考は、どこまでも「今」に焦点が当たっている。一方、キャリアデザインには「未来」が含まれる。「ちょっと違う」と思いつつ、キャリアデザインへの腹落ちに一歩近づいたと実感したことを覚えている。



その後またまた月日が経ち、私の周りは定年退職を迎える年になった。友人との会話は、親の介護や自身の健康が主役となりつつある。その中で、キャリアの節目を迎え「これからどうする?」が話題になることも多い。「日本語教師をやってみたい」「カフェをやりたい」「竹細工をはじめた」等々語る友人と話しながら、ついに私も未来を含むキャリアデザインを語る日がきた、とワクワクしている。



何が変わったのか。おそらく、①選択肢の増加、②今の生存戦略の変更が遠からず必要になるという実感、③時間の有限性の実感、といったあたりだろう。振り返れば、睡眠時間や運動時間の確保は、「今」を削り選び取るという、デザインの語源に近いことだった。ただ、それが「キャリアデザイン」に該当するのかは、自分でもよく分からない。キャリアデザインが、目指す未来を描き、そこへの道筋を明確にすることだとすれば、私に欠けていたのはまさにその未来と道筋であり、語源に近い行為をしたからといって、それをキャリアデザインと呼べるのか判断がつかないからだ。デザインの必要性を実感したという意味で、キャリアデザインの意義には腹落ち感を得たものの、それをキャリアデザインとして完成させるには至っていない。今、「あなたのキャリアデザインは?」と聞かれたら、「ヒリヒリとした毎日を過ごしたい」と答えるだろう。綺麗に言えば、世の中の誰も私に期待しなくとも、自分の可能性を信じてトライ&エラーを繰り返す日々を過ごしたい。別に対象は仕事でなくとも構わない。



こんな私はキャリアをデザインしてきたのだろうか?「まあ、キャリアデザインのあり方は人それぞれですからね」といった答えが返ってくるのではないかと想像している。この答えは半分当たりで半分違うと思っている。半分当たりというのは、語源に近い意味でのデザインなら、私も確かに重ねてきたからだ。半分違うというのは、それが「キャリアデザイン」に該当するのかが、私にはまだ言い切れないからである。この学会の会員の方は、教育場面をはじめとして、キャリアデザインを支援する方がほとんどだろう。デザインの支援には、ある種の型が存在する。例えば自己分析のように今の自分自身、もしくは就職先の情報を得るといった環境を知るといったことや、未来のありたい姿を描くといった型である。



キャリアデザインが何のために存在するのかを考えた時、既存の型を大事にしすぎていないだろうか、実はもっとデザインのバリエーションがあるのではないだろうか。我々学会員にはそれを考えるリソースがあるのではないか、といった疑問が沸々と湧いてくる。それは私自身にも向けられる問いである。既存の型と人それぞれの間にあるバリエーションの可視化をすることで、私のようなキャリアデザインに苦手意識を持つ人を減らすことができるのではないだろうか。それは、苦手な私自身にも課された宿題でもある。相変わらず私はキャリアデザインが苦手だ。けれどその苦手さこそ、キャリアデザインを問い直すための資源だと思えている。

掲載日 2026年7月