私のキャリアデザイン

私のキャリアデザイン
愛知みずほ大学,名古屋大学名誉教授
金井 篤子
私のキャリアデザイン

<体験的キャリア発達論>

Schein(1978)のキャリア発達段階論を院生の時に故若林満先生(名古屋大学名誉教授)に学び,その後この理論は私自身のキャリア研究の中核であった。と同時に,私自身のキャリアにおいても,その時々にこの理論とすり合わせて,自身のキャリア発達を理解しようと試みてきた。ここでは,私のキャリアデザインということで,考えてきたことをいくつかを紹介したい。なお,本原稿は2024年3月に名古屋大学を退職した時にまとめたもの(金井,2024)の一部に加筆したものである。



<30歳危機とキャリア・パースペクティブ>

1980年代初めに大学を卒業後,当時破竹の勢いで成長していたリクルート(当時の名前は日本リクルートセンター)に入社し,Schein(1978)の仮説通り,私もリアリティショックの乗り越えには苦労したが,何とかリアリティショックを乗り越えて,初期キャリアに移行し,仕事を続けているうちに,次のバウンダリーを迎えた。初期キャリアから中期キャリアへの移行における危機である。このうち,特に30歳時における危機を『30歳危機』と名付けた(金井,2003)。私の場合,このバウンダリーの乗り越えに失敗して,30歳で会社を退職した。
初期キャリアの大きなテーマは「有能な部下となること」と「主体性の回復」の2つである。1980年代当時リクルートでは入社5年目ぐらいの27,8歳くらいから課長への昇進が始まっていた。垂直方向へのバウンダリーの通過である。しかし,当時の私には全く垂直方向へのキャリア・パースペクティブ(キャリアの見通し,金井・三後,2004)がなく,問題意識もなかった。私にとっては指示された目の前の,結構面白い,それも相当な量の仕事をうまくこなすことが重要であり,それは初期キャリアの課題の「有能な部下となること」を達成したが,「主体性の回復」については未達成だったのである。
 当初この体験は私の個人的なものではないかと考えていたが,大学院に入学し,心理臨床をスタートしたころ,立て続けに3人の,仕事上の悩みを持つ30歳のクライエントに出会うに至って,30歳危機の存在を仮定できると考えた。この危機の本質は次の段階へのキャリア・パースペクティブの欠如である。3人のクライエントはいずれも初期キャリアの「有能な部下となること」に関しては達成されており,それも人によってはかなり優秀であった。しかし,一人は急に上司の主任が異動することになり,そのまま本人が主任に昇進したが,「今までずっと上司と一緒に仕事をしてきたのに,上司が何をやっていたのかが思い出せない。主任として何をしたらいいのか,全くわからなくてつらい。」と語った。もう一人は,昇進の時期も近いので,その準備として中期目標を作成するようにと上司から指示されたが,「中期目標を作成しようと思うと頭が真っ白になってしまって,手が付かない状況に夜も眠れなくなった。」と語った。あとの一人はパートの多い職場の正社員で,自分がマネジメントの立場にあるものの,「自分が指示しても,ベテランパートたちが指示に従わない。ベテランパートたちの勝手な行動がただただむかつき,どうしたらいいかわからない。」と語った。キャリア発達段階から見れば,初期キャリアの次には中期キャリアが来るのは自明である。しかし,本人たちとすれば,突然,中期キャリアの課題に直面することとなり,強い戸惑いと困難を感じていた。初期キャリアではうまくいっていただけになおさらその衝撃が大きいと思われた。
これらの問題は,初期キャリアにおいて,次の段階へのキャリア・パースペクティブを持ちえなかったことに起因しているものと考えられた。これにはもちろん本人だけの問題ではなく,組織の問題がある。とかく「有能な部下」は便利に使われてしまいがちである。初期キャリアの社員に対して,中期キャリアへのキャリア・パースペクティブを持つことを支援し,同時にその中期キャリアへの移行のための,初期キャリアのもう一つの課題である「主体性の回復」を支援することが重要であると考えられる。



<キャリア発達段階の入れ子構造とリベンジ>

 私は30歳危機で8年間勤めた会社を退職し,名古屋大学の大学院に入学した。大学院には大学院の流儀があり,また,この領域には新規の参入であることから,キャリア発達段階においては仕事世界参入および基礎訓練期ということになる。大学院の年下の先輩たちにいろいろと教えてもらうことが多かった。私のほうは新人という開き直りがあったので,あまり年齢を気にしたことはなかったが,先輩たちはかなり年上の新人らしからぬ私に気を使ったこともあったかもしれない。とは言っても,リアリティショックを乗り越え,自分なりの仕事観を持ち,それなりのキャリアを積んできているわけで,その視点から,大学院の中のことを見るということはある意味しかたがない。大学出たてのように,そんなものかと何も疑問がないかのようにふるまうことはちょっと難しいからである。周囲からも年齢相応のことを求められることがないわけではなかった。すなわち,初期キャリア段階でありながら基礎訓練期でもあり,あるいは,仕事世界参入期でありながら中期キャリア段階でもあるという状況であり,これを『キャリア発達段階の入れ子構造』と名付けた。
 この入れ子構造は時に非常に困難を感じさせることがある。異動者や転職者,異業種参入者などの組織や領域間移動者が感じる違和感や不適応の多くは,この入れ子構造にあると考えている。新入社員なのに,まるで,経験者のように扱われることもあれば,経験者なのに,その知識やスキルが全く使えない経験をするのである。私学を経て名古屋大学に着任されたある先生は10数年たった退職間近まで「この大学のことはよくわからないのだけど」とおっしゃっていたが,この入れ子構造の違和感をずっと抱えていらっしゃったのではないかと思える。
 しかし,一方では,たとえば,初期キャリアにおいて基礎訓練期を体験するということには,そのままその組織で過ごしてきた人とは異なる視点を提供できる可能性がある。実際企業における中途採用は即戦力というだけでなく,入れ子構造による新しい視点の導入にも期待しているからだと考えられる。また,基礎訓練期を再び体験できるということから,リベンジを果たすという意味もあるように思われる。先にも述べたように,私は30歳危機の乗り越えに失敗しており,新しくやり直すというのはある意味面白い体験であった。私のリベンジは次の段階のキャリア・パースペクティブを持って行動するということであった。なので,大学院の先輩たちにはどうやって就職するのか?とか,何をすれば,レフリージャーナルに掲載されるのか?とか,投稿するレフリージャーナルの選び方とか,いろいろと研究生活のキャリア上のことについてお尋ねした。先輩方は惜しげもなく,とても有用なサジェッションをくれてありがたかった。途中参入とはいえ,年齢相応(発達段階相応)の業績を求められた。やはりはじめからきちんと研究をしている人と比較すると,業績や経験が圧倒的に少なかったから,この世界でやっていくにはそれなりに効率的にやっていかないといけないということもあったし,そこそこ効率的にやるための経験からくる智恵もあったということであろうと考えている。
 こういった入れ子構造が持つ可能性を活かすためには,移動した本人が自身のキャリア発達段階の入れ子構造状況について,認識をしていることが重要ではないかと思われる。また,受け入れ側の体制も非常に重要であり,移動してきた人がキャリア上は年齢相応の発達を遂げてきているものの,この組織においてはまだ基礎訓練期にあることを認識した対応をすることが望まれる。



<55歳危機>

 Schein(1978)のキャリア発達段階においては,中期キャリア危機を乗り越えると,後期キャリアがスタートする。この後期キャリアを経過し,次の下降と離脱期へ移行する際のバウンダリーに『55歳危機』と名付けた。
 私は自分が55歳になった時に非常にモチベーションがダウンした。何があったかというと,55歳になったので,今後は定期昇給が停止します。という連絡を受け取ったのである。当時は相談室長を担当しており,ますます仕事が増え,非常に忙しい日々を過ごしていた。実際のところ,定期昇給の額は大した額ではなく,金銭的なダメージはそれほどではなかったが,何より感じたのは,大学から期待されていないのではないか?あるいは大学が中高年を排除しようとしているのではないか?という疑念であった。
思い出してみると,この55歳時の抑うつは私だけではなかった。先輩の先生方のうちには,退職までまだ10年もあるのに,「もう私はやめていく身だから若い皆さんで決めていただいて。」と会議のたびにおっしゃっていた先生がいらしたし,「金井さんはキャリアの勉強をしているから,退職後はどんな感じなのか教えてもらえるかな」とお昼をご一緒していた時にお話しされた先生もいらっしゃった。ほかにも体調を崩された先生がいらっしゃった。しかし,当時私は先輩の先生方がそういった危機的状況であったということが全くピンと来ていなかったというのが正直なところであった。
 また,55歳時点には,定昇停止のほかに,役職定年という制度もある。なぜ,55歳なのかということについては,ご承知の方も多いと思うが,日本の企業では長らく55歳が定年であった。しかし,日本の少子高齢化が進み,年金問題や高齢者の生きがいを創出する流れから定年延長が促進され,1986年の「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」の改正で60歳定年が努力義務になり,1994年の改正で60歳未満定年制が禁止(1998年施行)され,60歳定年がスタートした。しかし,そのためには給与や退職金の負担が増えるため,企業側の負担を軽減することと,組織の若返りやポストがなかなか空かなくなることへの若手のモチベーション低下を防ぐことを目的に,55歳における定期昇給の停止,および役職定年がスタートしたのである。その後,2012年には希望者全員の65歳までの雇用が義務化され(2013年施行),2020年には70歳まで働く機会の確保が努力義務化(2021年施行)されている。このようにますます定年は延長されているにもかかわらず,55歳における定昇停止や役職定年はそのまま残っており,55歳から定年までの期間が実質長期化していることが指摘できる。
 55歳危機は,ここで定昇停止や役職定年がなければ生じない危機であるから,企業のシステムが生み出す危機であると言える。このことは近年企業にも認識されつつあり,2020年前後から役職定年を廃止する企業が出てきている。このように企業のシステムが従業員のキャリアやメンタルヘルス上の問題を引き起こしていることが決して少なくないため,人事労務関連のシステムの構築は十分に検討される必要性があることを強調しておきたい。
 他にもいろいろと考えたことはあるが(特にこれから直面する退職危機),紙面の都合もあるので,ここまでとしたい。今後も自身の体験を通じて,キャリア発達段階を考察していきたいと考えている。



—————————————

〇金井篤子 2024
体験的キャリア発達論 名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要(心理発達科学),
70, 15-23.

〇金井篤子 2003
ストレスをスムーズに解決する 金井壽宏(編著)会社と個人を元気にするキャリア・カウンセリング  
日本経済新聞社 Pp.25-49.

〇金井篤子・三後美紀 2004
高校生の進路選択過程の心理学的メカニズム―自己決定経験とキャリア・モデルの役割 ―寺田盛紀(編著)キャリア形成就職メカニズムの国際比較―日独米中の学校から職業への移行過程― 
晃洋書房.Pp.25-37.

掲載日 2026年5月