私のキャリアデザイン

私のキャリアデザイン
(一社)人材育成と教育サービス協議会 副代表理事
前目白大学教授
末廣 啓子
私のキャリアデザイン

迷い迷いの私のキャリア形成・・・
 子供のころからずっとなりたいと思っていた職業があり実現可能と思っていた。それが大学入試前になって突然違う世界に惹かれ、また、私はその職業には向かないという父の一言がトドメとなって直前で志望学部を変えてしまった。なぜそうしたのか未だに謎であり、思春期の心の迷いとしか思いつかない。大学生活は楽しく、私の人生も豊かにした得難い時間だったと思うが、その後の私の職業人生という意味ではここから私の紆余曲折、迷いが始まったという気がする。大学では、ネズミを何十匹も使った実験で卒論を書いて評価して頂き、そのまま院に進学しようと思っていた。が、当時学会トップだった私の恩師がこの世界では女性の大学教授は母校の女子大出身者であり、ここの大学の男子卒業生は学会トップにもなれるが女子は行き場がなく専任講師止まりなので、外の世界に出て活躍したほうが良いと言った。研究の世界もそんな時代だった。国家公務員志向も多い中で、私の学部は国家権力が嫌いという人が多く、私もそのムードの中で公務員でなく当時珍しかった女性の課長がマスコミに盛んに登場して活躍している航空会社に就職した。私は運航本部管理部に配属され、学んだこととは全く関係のない経理係として伝票をきる毎日だった。昨日まで同級生だった男の友人と大幅に給与が違っただけでなく、女性のキャリアパスなど全く会社は描いていないことがすぐに分かった。あの女性課長は仕事一筋で特別な存在だった。均等法など全くない時代、日本の大企業は皆こんなものだったと思う。大好きだった楽しい職場は去り難かったが、ここで一生経理係かもしれないと思うと辞めるしかなく、当時女性がまともに長く働くことのできる職場として思いつくのは教員と公務員だけ。幸い合格後2年間の有効期間のあった国家公務員に雇ってもらえた。まさに消去法での選択だった。それでも、提示のあったいくつかの省庁のうち、労働者のために働くという当時の労働省を選んだのはせめてもの自分を裏切らない選択だった。


 労働省では若い時には男女の区別なく深夜まで働き、国内外の大きな土俵の中で、労使の方々、学識者の方々と密に付き合いながら、政策を作り実行していく。ほんとに楽しくやりがいがあった。なぜか、労働者派遣法やベンチャー企業支援を始め、労働行政にとって全く新規の事業を立ち上げる仕事ばかりが回ってきたのはほんとに幸運だった。今の私を支えている様々な世界の方とのお付き合いや考え方の基盤となっている。とはいえ、入省時には、メインの2つの局には庶務の女性以外は新入生程度の女性がいただけ、その後は女性は外郭団体か、「婦人少年局」という私たちが「大奥」と密かに呼んでいた局に配属されていたのが驚愕の現実だった。そんな時代から、徐々に女性がメインの局でも課長になり、地方局や本省でもトップになるようになった女性の歩みを、まさに私は同時代として体験してきた世代だった。組織人としての自分のキャリアを語るとどうしてもこうした女性の問題になり際限がなくなるのでここでやめるが、女性活躍の旗を振る労働行政でさえ差別のエピソードは枚挙にいとまなかったし、ここまで道を切り開いてきた幾世代もの女性たちと、それを支援してきた一部の男の上司たちに思いを馳せると、頭が下がる。でもまだ実態は理想からは遠く、学生たちには、今度はこれを担うのはあなたたちです、と言い続けてきた。


 私は人生でもう一つ別の職業に就いてから死にたいと思っていた。消去法で選択した役人人生だったが仕事は面白く幅広い人とのつながりを楽しんでもいたので、決断が遅れ、50も半ばに差し掛かってしまった。ちょうどその頃、大学ではキャリア教育というものが導入されるようになった。法律・経済、社会の動きや人の心理、芸術等々様々な領域が交錯する労働の問題は興味深く、また若者にとってとても重要なことと考え、私の経験や思いが貢献できるのではないかと思った。有難いことに地方の国立大学が雇ってくれて、新しい挑戦が始まった。役人として新規事業に奔走した癖で、大学でも、キャリア教育という新しい教育を如何に大学全体として根付かせていくか、学生に必要なプログラムは何か、夢中になって取り組んだ。大学はこれまでいた世界とは全く異なり「組織」というより個人の集合体で、驚くことばかり、私は当初怒ってばかりいた。この中で、大学横断的な新しい試みの実現、授業、学生相談、研究、地域との様々な関わり等々役人時代よりも格段に暗中模索・悪戦苦闘の連続だった。それでも、共感してくれる若手の教員や職員と一緒に、産業界・自治体と協働でPBL授業や種々の事業を立ち上げて、これらを通じて学生たちが生き生きする姿を見るのは実にうれしかった。


 こうやって振り返ってみると、わが人生は「キャリアデザイン」してきたとはとても思えない。折々の岐路で、それまでに積み上げてきた経験や様々な人々との関わりと、その時に見える、或いは想像できる外の景色を踏まえて得られた自分の狭い限られた視野のなかで、何らかの計画を立て自ら決断をしてきたわけだ。多分、それが多くの人のキャリアデザインというものの形かもしれない。


大学のキャリア教育に携わって・・
 大学での日々の中、キャリア教育とは教育そのものである、とずっと思ってきた。
長い人生の中で様々な変化に対応して、自分なりにより良くキャリアを「デザインして」、納得いく人生を生きていくためには、強い意志と、基礎的な学力も含めた知識に裏付けられた文科省曰くの「基礎的・汎用的な能力」のような力を、大学の教育全体の中で育むことが不可欠と思ったからである。その中で、特に働くことに関しては、働き方やそれを取り巻く環境などの生き生きとした現実や問題点、法制度を正しく知らせ、見せ、感じさせて、そういう世界の中で生きていく自分との関わりを考えさせること、視野を広げ、どう働くにせよ必要な起業家精神を育むこと、を目指して、そのために必要なきっかけと材料を提供することがキャリア教育として大切と考えてきた。現実を様々な点から知り議論し行動する中で、学生は自ら、自分がどういう世界に出て、その中で自分の生き方・働き方をどうしたいのか、を考えていくと確信している。それは、自分のより納得のいくキャリアをデザインするということを可能にする基本だと思う。


 それと同時に、いつも気になるのは、意欲をもって出て行こうとする若者たちを受け入れる企業や社会の在りようだ。それについては、教育の側からもの申していく必要があるだけでなく、若者自身が、おかしいと思ったらそれを変革するのは自分たちだというところまで思い至ってほしいと願ってきた。そういう若者を育むのもキャリア教育の重要な視点だと思っている。