私のキャリアデザイン

キャリアの節目は「突然・偶然・必然」に
近畿大学 経営学部 教授 

西尾 久美子
キャリアの節目は「突然・偶然・必然」に

舞妓さんキャリアの研究?
 「なぜ、舞妓さんのキャリアを研究テーマにしたのですか?」と、尋ねられることが
よくあります。10代の少女たちが自分の意思で京都花街に来て、Off-JTとOJTの連携に
よって技能を獲得していくキャリアの歩みを簡単にご紹介すると、「伝統の世界なのに、
合理的なキャリア形成がされているのですね」と、皆さん驚かれます。
そこで、「実際の様子をきちんと調べないままに、限られた体験や聞いたことをもと
に思い込んでいた、ということはありませんか? 現場で調査したことを理論や概念を
使って整理・分析すると、予想とは異なることが見えてくることがあります。」とお伝し、
「京都花街の舞妓さんを取り上げたのは、ここには円滑なキャリア形成を可能にする
何らかの仕組みがあり、それを支える組織側からの働きかけがあると思ったからです」
と研究することとテーマ設定とのつながりをお話します。
そして、「調べる前にどのようなことが見つけられるのかは、正直わからなかったで
す。でも、一生に一回の博士論文ですから、自分がやってみたいことをテーマにして研
究しようと思いました。京都出身の私には調査協力者の見込みもあり、何とか調査でき
そうでしたので」と研究の機会や調査協力者の重要性にも言及します。
あるとき、「大学の先生は違いますね、変わったキャリアに目を付けられるのですね」
と、言われたことがありました。「変わったキャリア」、私はこの言葉に少し引っ掛
かりを覚えました。

変わったキャリア? 一般的なキャリア?
舞妓さんは一般的な従業員とは異なるという意味で用いられていることは話の流れか
ら明らかなので、特にこだわる必要はないと思います。しかし、私自身が変わったキャ
リアとよく言われたり、また自分でそう自己紹介したりした時期があったので、なぜだ
ろうと気になって、そのまま流すことができませんでした。そして、変わったキャリア
は自分のキャリアデザインの結果なのですと単純明快には言い切れないことに、気が付
きました。
さて、一般的なキャリア、というカテゴリーがあるのなら、30代半ばまでの私のキャ
リアはまさにそうしたものでした。短大卒業後に一般職OLとして大手企業で3年間勤務、
結婚退職後は2人の子育てとパート勤務や請負の兼業主婦として過ごす、女性就労のM
字カーブにピッタリあてはまるような歩みを10年ほど過ごしました。ここまで書くと、
平穏無事を絵に描いたようですが、20代後半から毎年のようにキャリアの節目に直面し
ました。
元夫の転職、元夫の義父の会社の清算事務の担当、実家の両親の介護、これらに並行
して実家の家業の事務手伝いに論文添削の先生をしてと、家族の変化に直面しその状況
に合わせながら仕事をして生計の足しにする日々を過ごしました。
この当時は、キャリア=キャリア官僚のことで、自分の働くことや生きることに関わ
る用語だとは知りませんでした。また、女性が働くことが社会的に限定されていること
や、労働の成果に対する対価が見合わないと感じることはあっても、それはそれで仕方
ないかも主婦だしと、何か気になりつつあったモヤモヤを見ないようにしていたかもし
れません。

久美子の大学へ行こう
変わったキャリアが本格的に始まったのは30代半ばです。
両親を見送り、介護に追われていたあわただしいパート主婦生活に少し時間的余裕が
でき、ある朝、目に留まったのが新聞の企画紙面の「社会人入試」の見出しでした。実
家の都合で4年生大学進学を断念し推薦で短大へという進路選択は不本意で、ずっと打
ち消すことができない心残りでした。その心残りをそのままにしたくない、人生は限り
があるからやりたいことをやってみようと、だれにも相談せずに三十路で大学進学とい
うキャリアデザインをしたのですから、今振り返っても驚きです。1か月に2回の親の葬
儀をするという予想もしていなかったことを経験して、自分の人生にも限りがあること
をずっしりと受け止めたのが、その決心の背後にあることは事実です。
一方で、大学進学は決めれば何とかなりそうなことだと、冷静に考えて目処が立ちま
した。学費は自分のパート(店長と交渉して勤務時間と曜日を変更)と添削業務の請負
で、大学の授業は1限~4限なら家事と両立可能だし、小学生の子供たちと長期休みの日
程は重なっているし、卒業後は中学か高校で教壇に立てるかもしれないから長期的には
家計にもプラスになる。そんな目算を立てて、2週間で願書出願の準備を整え、英語と
小論文の社会人入試の対策をして試験に臨みました。そして、滋賀大学経済学部に合格、
大学での学びの日々を迎えました。
大学進学を機に、消費生活アドバイザー(初職在職中に勤務先のサポートで資格取得)
の関西在住会員有志のグループの機関紙に「久美子の大学へ行こう」という連載を始
めました。手元にある紙面を読み返してみると、キャリアの節目という概念は知らない
けれど、自分が主体的に行動して得た転機だという自覚はあったようです。そして、せ
っかく三十路で大学生になったのだからその様子(授業や学期末試験、大学祭等)を、
自分と同じような状況にある人達に伝えてみたいという、社会的に情報発信したいとい
う意欲が感じられます。
「変わった生き方」を選んでいる、そんな感覚が芽生え、卒業後の進路はどうしよう
かという次の選択も気にしつつ、大学での学びの面白さを実感していました。

節目のデパート
順調に単位を修得し大学4年生で教育実習をしながら、この時期に離婚調停と大学院
入試の発表が重なる、多様なキャリアの節目を一緒に体験しました。大学在学中に別居・
離婚、そして転居後に新しいくつかの仕事を得てと、周囲の人たちや専門家のサポー
トがあって、連続の節目に臆することなく自分なり判断することができ、いろいろな出
来事をくぐり抜けられて、神戸大学大学院経営学研究科に進学しました。
大学院生になり自分のキャリアを振り返るようになった頃に、恩師の金井壽宏先生か
ら、「西尾さんのキャリアは、まるで節目のデパートだね」と、私自身のキャリアを分
析していただいた言葉をもらいました。まさにその通りです!と笑顔で返答し、明らか
に変わっている私のキャリアの歩みを、金井先生が見守ってくださっていることへの感
謝で胸が一杯になりました。
その後も、それなりにいろいろありましたが、節目を自覚しキャリアデザインし、周
囲や組織からキャリア形成への働きかけを受けて歩みを進めた結果、自分なりに能力を
磨き、働き甲斐のある職業に就くことができました。また、還暦をすぎて転職も経験し、
研究や教育に関する私の知見を次の世代に伝え役立ててもらえればと、今までとは異
なる役割にあることも意識しています。

突然・偶然・必然
私たちのキャリアの節目には、多様な質の異なるものがあります。そして、それらは
いつどのような順番でやってくるのか、予想がつくものはそれほど多くはありません。
大まかな時間軸での予想がつくものはありますが、多くの節目は前兆があったとしても
予想のつかないものばかりです。あるいはまったく予想がつかない節目もあります。

キャリアデザインすべきキャリアの節目は、突然にやってくることが多く、一方で、
今までの積み重ねによって偶然に引き寄せるものが多くあります。私が突然節目を意識
して大学進学を決めたのも、実はそれまでの経験の積み重ねから生じたことだともいえ
るでしょう。そして、振り返ってみると「あの時のキャリアの節目は必然だった」と、
自分のキャリアの歩みの中で明確に意味づけされ、統合されていくと言えます。
キャリアデザインができるのは、キャリアに節目があるからです。キャリア形成をサ
ポートする仕組みがある、組織側からのキャリアマネジメントがあっても、個人が節目
を直視しなければ、自律的かつ主体的な意思決定はできません。突然というタイミング
で生じる節目を避けて見ないふりをするのか、リスクを取る機会と捉えてどう行動する
かを決めるのか、キャリアデザインの主役の「私」が鍵を握っています。