キャリアデザインマガジン 第92号

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□    キャリアデザインマガジン 第92号 平成22年4月12日発行
     日本キャリアデザイン学会 http://www.career-design.org/

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 「キャリアデザインマガジン」は、キャリアに関心のある人が楽しく読める
情報誌をめざして、日本キャリアデザイン学会がお送りするオフィシャル・
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□ 目 次 □———————————————————–

1 私が読んだキャリアの1冊(1)
     玄田有史『人間に格はない-石川経夫と2000年代の労働市場』
2 私が読んだキャリアの1冊(2)
     江口匡太『キャリア・リスクの経済学』
3 キャリアイベント情報

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【学会からのおしらせ】

◆キャリアデザイン学会第7回研究大会・総会の日程が決定しました。
 日 程 2010年10月23日(土)・24日(日)
 会 場 神戸学院大学
     〒650-8586 神戸市中央区港島1-1-3

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1 私が読んだキャリアの1冊(1)

  『人間に格はない-石川経夫と2000年代の労働市場』
               玄田有史著 ミネルヴァ書房 2010.2.15

 この本の書名は『人間に格はない-石川経夫と2000年代の労働市場』、著者
は故石川経夫門下の労働経済学者、玄田有史氏だ。この本はある意味書名のと
おりの本で、「2000年代の労働市場」と「人間に格はない」という2冊の本を1
冊にまとめたという印象のものになっている。「はしがき」によれば、もとも
とこの本は石川経夫氏の伝記として構想されたものであり、それが愛弟子を慮
る遺族の意志によって、こうしたユニークな形の本となったのだという。

 その中心は2006年以降に著者が発表した、「2000年代の労働市場」を分析し
た研究論文に基づいており、したがってこの本は基本的に研究書であり、興味
深い発見を多く含んでいる。加えて、各章の最後には、故石川経夫氏の著者に
対する薫陶の回想をまじえた解説コラムが付されている。書名の「人間に格は
ない」も石川氏の言葉だというが、ありし日の石川氏の研究者としての姿が生
き生きと描き出され、著者の恩師への傾倒と研究にかける思いとが伺わて心に
残るものとなっている。

 第1章は2000年代に論点としてクローズアップされた「格差」の経済学的な
意義が考察される。石川氏による「(経済学が)市場的評価のレベルで問題と
すべき「真の賃金格差」が存在するのは、同一の能力・嗜好を持ちながら同一
の所得機会に恵まれない人々のいる場合」との定義が紹介され、その今日的な
課題が敷衍される。第2章では労働市場の世代効果が取り上げられ、新卒時の
労働市場の需給状況がその後の長期にわたって賃金や雇用の安定などに持続的
に影響することが示される。これを外部労働市場の働きによって解消するため、
労働者の能力や経験に関する評価機能の改善が求められるという。

 第3章では若年無業が分析される。年収の高い世帯の若年ほど無業化しやす
い傾向があるいっぽうで、低所得世帯の無業者も増えつつあり、就労しても低
い所得しか得られそうにないことから、若年無業が貧困の再生産となりつつあ
る可能性を示している。

 第4章は転職による非正規雇用から正規雇用への移行が分析される。失業率
の低い地域ほど、あるいは専門性に基づく労働需要が強い職種ほど正規雇用に
移行しやすいという結果に加えて、非正規雇用としての2~5年程度の同一企
業での継続就業経験が正規雇用への移行に効果があることが示される。これに
対して第5章では同一企業内での非正規雇用の状況が分析される。内部/外部
労働市場の二重構造の中で、外部に属する非正規雇用は勤続しても処遇が改善
しないという通念に反し、非正規であっても勤続とともに処遇が改善する傾向
が認められ、内部労働市場の一部に取り込まれているかにみえる例が少なから
ずみられることが示されている。第6章ではやはり非正規雇用から正規雇用へ
の移行について、企業内移動と企業間移動とを比較調査している。企業内移動
では仕事ぶりが認められ、職種・職場が踏襲されることが多いいっぽう、企業
間移動では性格や人柄が重視され、職種・職場内容が異なることが一般的であ
ることが示される。また、正規化後の年収は企業内・企業間による有意な相違
はみられないことも示される。

 第7章は長時間労働の分析にあてられる。2000年代の特徴として勤続10年未
満の短期勤続層の労働時間の増加が指摘され、それが離職を過大に誘発した可
能性が指摘される。

 第8章では少子化問題に関連して、就業状況と性行動頻度との関係に着目し
た分析が行われる。若年者の無業と長時間労働の増加が性行動の消極化をもた
らし、少子化に拍車をかけた可能性が指摘される。

 第9章では学校での職業教育が取り上げられる。職業教育がその後の仕事に
役立ったり、所得の増加につながったりしているとの証拠は見出せないものの、
受け手が有益と感じた職業教育は中途退職の抑制や正社員就労の促進につなが
っていることが示されている。内容的には「みずからの状況に応じて希望を修
正発展させる柔軟性の体得」が仕事のやりがいを高めるという興味深い結果も
示されている。

 第2章以降の各章はいずれもデータに応じた周到な配慮のなされた分析にも
とづくものであり、その解釈には疑問もなしとはしないが、しかし事実関係の
指摘としては説得力に富むものとなっている。著者はこれらの知見をもとに、
「当面あるべき労働市場に関する結論とは、移動の促進ではなく、むしろ誰に
とっても一定期間の定着を可能とする労働市場の拡充である」と主張するが、
これもまことに実務実感に合致した結論であろう。これは著者も認めるとおり、
恩師が理想とした流動的な労働市場のイメージとは異なっている。それは、恩
師の理想の実現には「少なくない議論と試行錯誤の時間を要するだろう」こと
に対して「非正規労働者など能力開発の機会に制約がある人々の状況を改善す
る」ことは「喫緊の課題」であり、その解決には「企業間での移動の促進より
も一定期間の同一企業への定着こそが職業人生の改選に実践的な意味を持つ」
との考えによるという。結論は異なれど、事実と現実に立脚して人々の幸福を
追求するとの著者の良心的な姿勢は、おそらくは恩師も了とするところではな
いかと思う。
                        (編集委員 荻野勝彦)

 ※「私が読んだキャリアの一冊」は、執筆者による図書の紹介です。
  日本キャリアデザイン学会として当該図書を推薦するものではありません。

2 私が読んだキャリアの1冊(2)

  『キャリア・リスクの経済学』
                  江口匡太著 生産性出版 2010.1.31

 『キャリア・リスクの経済学』という書名ではあるが、もっぱら自らのキャ
リア開発に関心がある人にとっては役立つ本ではない。「経済学」とはいうも
のの経済学のテキストでもない。何の本かといわれれれば、「人事経済学の
本」ということになるのだろうか。まあ、人事とキャリアは切っても切れない
し、リスクは経済学の重要なファクターだから、人事経済学の本の書名として
はありうるものかもしれない。

 そこで人事経済学だが、組織人として職業人生を送っている人にとって、人
事管理や人事制度はその人生と密接不可分、最大の関心事項のひとつであろう。
その巧拙が組織や個人の意欲や生産性、ひいては業績にも大きく影響すること
は、多くの人が経験的に知るところに違いない。

 人事管理の難しさは、理屈で割り切れないところにあるといわれる。実際、
人事管理の現場で重視されるのは理屈や筋より「納得」であって、むしろ理屈
は納得を得るための材料のひとつというのが実態だ。納得できれば筋はどうあ
れ意欲は高まるし、個別個人に対する人事管理のレベルに至れば「100%納得
はできないが、まあこんなもので仕方ないか」ということでそれなりのやる気
を維持しているというのが多くの職場の現実の風景だろう。実際、「納得」を
優先した結果、多岐にわたる人事制度を詳細にみればあちこちに矛盾や齟齬が
みつかるというのがむしろ普通だろう。

 こうした特徴ゆえに、人事管理や人事制度に対しては、事象をモデル化し、
理論的に分析する経済学の手法は直接には役立ちにくいとされてきたようだが、
1990年代に入って、労働経済学者の間でそれに取り組む動きが活発となった。
そこで発展したのが「人事経済学」だ。

 その代表的なテキストである樋口美雄(2001)『人事経済学』生産性出版によ
れば、「企業の人事管理には経済学的な発想が不足している」のだという。実
際、そのとおりなのかもしれない。しかし、人員の適切な確保と適材適所の配
置や、従業員に対する効果的な動機づけなどが人事管理の最大の役割であるこ
とを考えれば、これは本来、資源の最適配分やインセンティブとモチベーショ
ンといった経済学の考え方と高い親和性を持つものであろう。であれば、そこ
にはたくまずして経済学的な発想が取り込まれているのかもしれないし、逆に
経済学の考え方によって人事管理・人事制度の合理性を説明できる可能性もあ
るだろう。

 この本は、わが国の人事管理のさまざまな局面について、さまざまなデータ
を踏まえて、人事経済学の理論によって解説することを試みた本といえるだろ
う。第1章では人事評価や成果主義などを取り上げ、もっぱら契約理論を用い
て「評価の誤差が小さい場合には賃金への反映は大きく、誤差が大きい場合は
反映は小さいものとすることが望ましい」などといった、一般的に行われてい
る人事制度の合理性が説明される。第2章は昇進と賃金制度などが取り上げら
れ、年功賃金が合理的となる状況が述べられる。第3章は技能形成をめぐる内
容で、人的資本の理論を援用して企業による技能形成が合理的となる状況や、
その条件として後払い賃金や長期雇用が必要となることが示される。

 第4章は採用と転職、非正規雇用やアウトソーシングの活用などが取り上げ
られ、成果が測定しやすく仕事の条件が明確にしやすい仕事はアウトソーシン
グされやすく、それが難しく、状況に応じた柔軟な対応が必要な仕事について
は直接雇用が有利であることが、不完備契約の考え方を用いるなどして紹介さ
れる。第5章では、情報の経済学や組織の経済学の考え方によって、組織にお
ける情報伝達や権限、人事異動や転勤、さらには内部告発、あるいは企業内コ
ミュニケーションにおける労働組合の役割といったものまで考察される。

 第6章は雇用調整にあてられる。賃金の下方硬直性や訴訟の経済合理性が取
り上げられた後、雇用保障・解雇規制について評判のメカニズムの観点で解説
される。さらに、有期雇用の期間、更新などについても検討される。

 通読してみると、特に企業内の人事管理・人事制度を検討した部分を中心に、
これまで各企業において積み上げられてきた人事管理のノウハウが、経済学の
考え方に照らしてもかなり合理的なものになっていることがわかるだろう。理
屈ではないといいながら、けっこう理屈にも合っているのだ。もちろん、著者
としても経済学の理論ですべてうまくいくとも考えていないだろうが、それに
しても逆に、経済学の考え方にあわない人事管理を行っているとしたら、少し
考え直してみる手間をかけてみる値打ちはありそうだ。たとえば、一時期流行
した成果主義がもうひとつうまくいかなかったのも、本書第1章の記述を読め
ばかなり納得いくものと思う。

 つまり、この本の読者として想定されるのは、まずは企業の人事担当者とい
うことになるだろう。もちろん、経済学のテキストではないにしても経済学の
本であることは間違いないのだから、極力わかりやすく読みやすく書く努力は
感じられるものの、小説のように読み進めるわけにはいかない。いっぽう、そ
もそも人事管理も人事制度も細かく議論しはじめればキリのないものだから、
やや強引に割り切りすぎていると感じられる部分もないではない。逆に、かな
り高度な理論をごく判りやすく解説しようと努力していることからくる限界も
あるかもしれない。また、理解を助けるために数式が用いられている部分もあ
るので、「文系」で数式やギリシャ文字にアレルギーのありがちな人事担当者
にはややとっつきにくい印象もあるかもしれない。とはいえ、多少の困難をお
しても読む値打ちの大いにある本だと思う。さらには、仕事の現場で日々現実
の人事管理にあたっている管理監督者には大いに有益な内容だし、人事管理の
対象である働く人たちにとっても関心を持てる本ではないかとも思う。価格な
ども考えると、それほど広くすすめるわけにもいかないかもしれないが…。

                        (編集委員 荻野勝彦)

 ※「私が読んだキャリアの一冊」は、執筆者による図書の紹介です。
  日本キャリアデザイン学会として当該図書を推薦するものではありません。

3 キャリアイベント情報
  ~キャリアデザインに関係するイベントの開催予定などをご紹介します~

◆中央職業能力開発協会「キャリア・シート(CADS&CADI)を使った納得でき
 るキャリア形成支援法セミナー」
 平成22年2月24日(水)9:15~17:00
 於 主婦会館プラザエフ(東京都千代田区)
 詳細:http://www.javada.or.jp/(HP左側の該当セミナーをクリック)

◆中央職業能力開発協会「キャリア・シート(CADS&CADI)を使った『キャリ
 ア相談・面談』セミナー」
 平成22年2月25日(木)9:15~17:00
 於 主婦会館プラザエフ (東京都千代田区)
 詳細:http://www.javada.or.jp/(HP左側の該当セミナーをクリック)

【編集後記】

 本号では故石川経夫氏に縁のある研究者お二人の著書を紹介しました。石川
先生は51歳で夭折されましたが、短い研究・教育生活の中でこのように有為な
後進を育成されたことの功績は多大といえそうです。「格差」や「分配」の問
題に注目が集まる中、本年は石川先生の十三回忌にあたるとのこと、大著『所
得と富』をはじめとするその業績にあらためて脚光があたるかもしれません。
(O)

【日本キャリアデザイン学会とは】

・キャリアを設計・再設計し続ける人々の育成を考える非営利組織です。
・キャリアに関わる実務家や市民と研究者との出会い・相互啓発の場です。
・多様な学問の交流からキャリアデザイン学の構築を目指す求心の場です。
・キャリアデザインとその支援の理論と実践の連携の場です。
・誤謬、偏見を排除し、健全な標準を確立する誠実な知的営為の場です。 
・キャリアデザインに関わる資格、知識、技法、専門の標準化の努力の場です。
・人々のキャリアの現実に関わり、変えようとする運動の場です。

 学会の詳細、活動状況はホームページに随時掲載しております。
 ◆日本キャリアデザイン学会ホームページ◆
   http://www.career-design.org/

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  日本キャリアデザイン学会(CDI-Japan)発行
  オフィシャル・メールマガジン【キャリアデザインマガジン】
 
このメールマガジンは『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ を利用して発
行しています。
 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000140735.htm
無断転用はお断りいたします。

 編集委員:荻野勝彦(トヨタ自動車株式会社人事部担当部長)

   日本キャリアデザイン学会事務局連絡先
    e-mail cdgakkai@hosei.org
   〒102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1

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