私のキャリアデザイン

「自分のキャリアは自分で創る」
産業能率大学経営学部教授
日本キャリアデザイン学会事務局長
荒井 明
「自分のキャリアは自分で創る」

この言葉は、10年以上前に出会った言葉であり、私の人生設計の指針となっている。当時勤務していた企業では、役割成果人事制度が導入され、エンプロイアビリティの労使共同宣言がなされ、これからの個人の働き方が大きく変化することを予感させる中、この言葉が企業から従業員へ投げかけられたのである。そして、ユングが「人生の正午」と呼んだ40歳に私は第二の人生を歩み始めることになる。

私が就職活動をしたのはまさにバブル経済の真っただ中で、現在の学生のように早くからキャリアについて考えることはなかった。「働く」ということに対してはかなり幼稚な考え方であり、自分の人生やキャリアに関しては深く考えたことなどなかった。「何をしたいのか?」「何ができるのか?」「何に価値を感じるのか?」などを今の学生ほど真剣に考えることはなく、銀行で働いていた父や兄の影響もあり金融(銀行)に入るのが当たり前と考えていた。金融以外にも様々な業界の試験を受けていたが、当時は幸せなことに試験さえ受ければ内定を何社からも頂ける時代であった。しかし、まさか自分が百貨店業界に勤めることになるとは考えてもおらず、親、兄弟、親戚から驚かれたものだった。本命の会社は最終面接にて不合格となったが、その会社に入社していたとすれば現在の道を選択する可能性はほとんどなかったと思う。不合格となったあの大企業が経営の危機にさらされ、2~3年前には会社更生法を申請し、いよいよ社員の大量リストラも実施された。人生は何が起こるか分からない。あっちに行ったり、こっちに行ったり、大波小波の連続で、思いや願いが全て叶うものではない。キャリアも同様で様々なものに影響され、自分の思い通りにいくキャリア形成は滅多にないのだと思う。まさに不思議な偶然の出来事の連続だ。

百貨店に就職を決めたのは「ヒト・モノ・カネ・情報」のうち「ヒト」に最も興味があったことと、内定者の集いに参加したところ同期のメンバーが最も自分に合っている人が多かったからだ。(当時の銀行の内定者とは、話は全く合わなかった。)百貨店は「ヒト」で成り立つ業界であり、人材育成が重要との思いから、入社当時から自己申告制度に「人事部 教育担当」と書き続けたが、希望が通ったのは12年後のことだった。教育担当として1年経ったある日のこと、新入社員がお客さま用の喫煙所でタバコを吸っていた。「ここは誰のための喫煙所か知っている?」と聞くと「お客さま用です」。彼は当たり前のようにそう答えたが、就業時間を過ぎれば彼もまたお客さまなのだと考えていたのだろう。「お客さまは従業員がここでタバコを吸っていたらどんな気持ちになる?」「僕だったら嫌ですね。」と話し、「でも教育で教えてもらっていないし、聞いてもいません。」と続けた。現在の道を選んだ遠因でもある。この頃から「何のためにキャリアを築いていくのか」を考え始めるようになり、その後、自分の引出しを増やすために、キャリアカウンセラーのスキルを学び、半年自主休職して日本生産性本部にて経営コンサルタントの資格を取得した。

入社して18年間勤めたが、一日たりとも「会社に行きたくない」と思ったことはなかった。正直仕事は辛く厳しいもので、責任が増えれば計数責任や計画業務や毎日のルーティーンワークに追われ、上司やお客さまから叱られることは多々あった。しかしロールモデルとなる上司や助け合えるメンバーが多かったため、毎日辛いながらにも楽しく仕事をしていた。半年間の休職を終え、その後執行役員付のスタッフの仕事をしていた年末に父が突然他界した。病気もすることもなく元気に過ごしていた父であったが、亡くなる当日も普段通りに日中健康のために数年続けていた水泳に行き、食事をとり、夜は趣味の油絵に集中していたという。油絵の展示会まで日がなかったため、連日夜遅くまで描いていた。その疲労が原因となり夜中に安らかな眠りについた。父は常日頃「日々最善、日々感謝」を心の糧とし、「好きなことで、それが誰かのためになり、生活ができる」という最高の生き方を目指していた。銀行マンだった父は早期退職(当時は定年55歳)し、第二の人生に大学教授の道と趣味の油絵に没頭する道を選択した。

今まで家族が健康でいることが当たり前と考えていた私にとって、父の死は突然のトランジションであり、今後を考える大きなきっかけとなった。40歳を前にして、これからの残りの人生、心の奥底にある本当に自分がしたいこと(自分が培ったことを人に教えて育てていくこと)に光を当てて生きていきたいという気持ちがふつふつと沸きあがり、あるセミナーで知り合った方に相談したところある研究者用の求人のサイトを教えてもらい、すぐさま「キャリア」で検索をかけた。そしてヒットしたのが現在のプログラムの公募であり、導かれるように縁もゆかりもない土地での生活へと向かっていった。たまたま出会った方からの情報で、たまたまヒットしたものが人生を大きく変えることになったのだ。人生は何が起こるか全く予想がつかない。Planned Happenstanceを体感した出来事であった。

学生には、たくさんの失敗を繰り返しながら、人生(キャリア)という「自分」を築き、「焦らず、ゆっくり、失敗を恐れないで」、等身大の自分に向きあうことを常に伝えるようにしている。自分のキャリアは他人と比べる必要もないし、焦ることもない。ゆっくりとキャリアは築いていくものなのだと。たくさんの失敗経験から人は成長し、その失敗経験が今後のキャリアにおいては貴重な武器となる、だから学生生活においてはたくさんの失敗を経験して欲しいと。そして自分を信じて、苦しい時や壁にぶつかった時は勇気をもって、周りに助けを求めれば、必ず見守ってくれている誰かが手を差し伸べてくれると。

自分が望む人生をつかむには、時間がかかり、思い通りには進まないことが大半であるが、自信を持って「自分のキャリアを自分で創る」学生の育成が一生涯の私のミッションであると感じている。個人を取り巻く環境は非常に厳しいものであるが、希望を持って、挫折を繰り返しながらも一歩前に踏み出せる若者育成の一助になっていきたいと考えている。

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