ごあいさつ

「偶然とともに生きる」

日本キャリアデザイン学会会長 荻野 勝彦(中央大学ビジネススクール客員教授、三井業際研究所)

日本キャリアデザイン学会会長
荻野 勝彦
中央大学ビジネススクール客員教授
三井業際研究所

「キャリアデザインなんて、意味ないよね?」  インターネットで「キャリアデザイン」を検索してみると、それに疑問を呈する意見がけっこう多いのに驚きます。本当にキャリアデザインは意味がないのでしょうか?意味のあるキャリアデザインとはどういうものなのでしょうか?

 私はビジネススクールで「キャリア管理論」という科目を受け持っています。一般的なcareer developmentではなくcareer managementとしているのには、キャリアデザインと深く関係する理由があります。

 ビジネススクールですから、受講者の多くはビジネスパーソンです。当然、developmentといえば「開発」を想起します。三菱地所や三井不動産といった「ディベロッパー」のビジネスは、新たなまちづくりのエリアを見て、鉄道が通っているからここに新駅を作る、そこにアクセスする道路はこう作る、駅前には大型ショッピングモールを作り、反対側には公園を整備する…といったように、あらかじめ詳細な設計図を作り(まちをデザインし)、それに従って業者を選び、その業者は資材を手配し…という感じで、設計図=デザインをそのとおりに現実化していきます。そこではdevelopment(開発)とデザイン(設計)は不可分のものですが、さてキャリアデザインってそういうものだっけ?となると…もちろん、違いますね。

 ディベロッパーのデザインとキャリアのデザインの最大の相違点は、キャリアデザインには「偶然」の要素が入り込んできて、往々にしてデザインどおりに現実化できない状況に至ることがある、という点でしょう。ですから、キャリアデザインはディベロッパーのデザインと同じようには現実化できない、そういう意味では意味がないと感じる人もいるのかもしれません。キャリアデザインが意味のあるものであるためには、固定的・硬直的かつ詳細なものであることは、かえって不都合なのです。いつ・何が起きるか事前に十分に予測することは困難ですが、しかし必ず起こる「偶然」に対応して、都度柔軟に再設計できなければなりません。その点で、ビジネススクールに集うビジネスパーソンにとっては、計画的なdevelopmentより、その時その場の状況に応じて「なんとかする」という意味でのmanegementのほうがわかりやすいのではないか。そう考えたのです。

 とりわけ昨今、技術の進歩も社会の環境変化もスピードを増していますし、加えてわが国では企業が幅広い人事権を持っており、本人の意図とは無関係に人事異動や転勤などを命じられることが少なくないという特殊事情もありますから、ますます「偶然」に遭遇する可能性は高まっているといえるでしょう。時には幸運な偶然もあるでしょうが、多くの場合偶然とは不運だ、というのも多くの人の実感であるに違いありません。とはいえ、偶然が起きたその時は不運だと思ったけれど、後から振り返ってみればそうでもなかった、当初のキャリアデザインは修正せざるを得なかったけれど、その後のキャリアもそれほど悪いものではなかった、という経験を持つ人も多いのではないでしょうか。偶然の変化を乗り切る、マネージすることはそれ自体が能力の向上につながるでしょうし、新たな環境が新たな学びを求めることも多いだろうと思います。偶然をそうした成長の機会ととらえるのであれば、あえて偶然を求めに行こうという発想も出てきますし、わが国の人事管理も、思いがけない偶然をもたらすものとして前向きに評価することができるかもしれません(もちろん弊害もありますが)。

 偶然から逃れることはできない以上、誰しも偶然とともに生きるしかない。キャリアデザインはその「偶然とともに生きる技術」ではないかと思います。偶然が万人に起こる以上、キャリアデザインも万人のものであるはずです。

 このたび、日本キャリアデザイン学会の会長を拝命することとなりました。学位は学士しか持たず、研究者としての専門のトレーニングを受けたわけでもない私が学会の会長になるというのは、まさに想定外の事態であり、数多くの偶然が積み上がった結果です。人事担当者になったのも、労働政策に関わるようになったのも、学界とのつながりができたのも、すべては偶然の産物です。日本キャリアデザイン学会の設立に参加したのも、中京支部の立ち上げに関与したのも同様です。これはすべて、私のキャリアの貴重な財産になっているわけですが、そこからおよそ学会の会長らしからぬ会長が出来上がってしまったというところが、この学会のユニークさなのだろうと思います。

 実際、日本キャリアデザイン学会は、研究者としてキャリア研究に取り組む人はもちろん、高校や大学でキャリア指導の実務を担う人、企業や労組で人事関係や労使関係の仕事に携わる人、官公庁でキャリア政策や職業安定行政を推進する人など、極めて多様性に富んだ、面白い学会です。研究大会の開催や学会誌の刊行にとどまらず、研究会や支部活動、広報活動なども非常に盛んであるだけではなく、その内容も多岐にわたっています。そんな学会だから、こんな変な会長も生まれたのでしょう。

…と必然を装ってみても、しょせんは偶然の産物です。そういう事情でたいへん微力な会長であり、会員の皆様のご支援ご協力を深くお願いする次第です。そして、掛け値なしに楽しく魅力的なこの学会に、多くの方にご参加いただけることを願っています。

 良き偶然と、良き出会いを求めて。